先日(というか昨日)、tarosuさん(@tarosufp)と展開されたカードを見ながら
「私、死神が好きなんですよね~」という話をして。
「どこが好きなの?」「うーん、なんかシンパシーを感じるというか、死ぬべきものがちゃんと死ぬ感じがいい」
みたいな曖昧な受け答えをした覚えがあります。
ちなみに私は蠍座で、先日話題になったファイナルディスポジター、ご覧のとおり冥王星が効いてます。
だから占星術の人は私が死神好きと言うと「あ~~」となるのかもしれません。(わかりませんが)
それで、なんとなく帰ってからもう一度「私は死神のどこが好きなんだろう?」と考えてみました。
一番は、死神を受け入れるとき、「覚悟」が必要だからなのかもしれません。
人生には変化の前に必ず「終わり」が来ます。
終わるべきものを受け入れずにいると、中途半端に死の影を引きずって、変化が訪れません。
終わりを終わりと認めるには、覚悟が必要です。
人生は大なり小なりそんな覚悟の連続だ、という感覚が私のなかにはあるのです。
死神のカードを見ていると、「終わりを受け入れる覚悟があるか?」と問われている気持ちになります。
私はいつもその問いに「ある!」と答えていきたい。そして次に進みたいのです。
死神が出ると厳しいなと思うけれど、覚悟が必要なときに背中を押してくれるような、
とても大事なメッセージをくれるカードだと私は思っています。
それにしても、tarosuさんと話していたときの私は、あの死神のカードを見て
「やっぱり好きだな~」としみじみと思ったわけです。
思い返してみると、tarosuさんのタロットは、映画007で使われていたという
知る人ぞ知る「魔女のタロット」だそうですが、死神の背景が鮮やかな赤でした。
赤は生命の色です。
ウェイト版タロットの死神は主に黒、白、灰で構成されています。
本来、死を意味する死神のカードに赤は一番似つかわしくない色です。(個人的には)
でもだからこそ、「生」があってこそ訪れる「死」の存在、
そして「死」の背後にある「生」の存在をありありと感じます。
「死ぬことは生きることなんだ」とも思えるのです。
なんだかそんな、生命の本質みたいなものを感じられるのも、私が死神を好きな理由のひとつなのかもしれません。
そんな記事を書いていたら、娘が「ママ~お絵かき失敗しちゃった」と泣きながらやってきました。
「もう一度新しい紙に描いたら?」と言うと、「うん、でも…」と言いながら、
どう見ても修正不可能そうな絵を一生懸命立て直そうとしています。
死神を受け入れる過程には、たとえ後で思い返すと「意味がなかった」「時間の無駄だった」と思うことでも、
こういう「終わりと向き合う」工程もある程度は必要だなあ、と。
私も昨日の占いでは未来に死神が出ていたので、いままさに受け入れる準備中です。
そんな大げさなイベントでもないのですが、死神は死神です。
そういえばtarosuさんも「納得して受け入れることが大事」と言っていました。
そのときが来るまでは、私も「でもな~」と言いながら無駄な抵抗をするのでしょう。
(無駄かどうかわかるまで絶対に諦めませんけどね!!)